世の中には、落語入門を謳った書籍がいくつもあります。そうした本は、名作を詰め合わせたものに対して、落語家が魅力をプレゼンするような体裁を取るものが多いようです。そのなかでも、名作のコミカライズは定番中の定番です。やはり、落語とマンガは相性が良いのでしょうね。時には荒唐無稽な話を、時には泣かせる人情噺を。そんな落語を愛した漫画家は多いと聞きます。本書は、漫画家の力量によって、落語そのものの持つ魅力が大きく引き立てられているように感じられました。素朴でコミカルな絵柄が、落語の世界観と調和してますね。
内容紹介
『長屋の花見』:大家さんと長屋の住人たちが花見をする噺。しかし大家さんは、花見のための酒や玉子焼きを用意できないほど貧乏な暮らし向き。それでもどうにか自分の顔を立てるようにと、住人たちに無茶を要求します。大家さんと住民の関係性が実に味わい深い噺です。
『火焔太鼓』:商売下手の道具屋さんが大成功を収める噺。市で仕入れた「火焔太鼓」が偶然お上に気に入られて高値で売れるというだけの筋です。ですが、なんとも言えない味わいがあります。パッとしない人物の成功譚というのが痛快ですね。
『文七元結』:博奕に凝って借金まみれの職人である長兵衛は、娘をカタにして拵えた五十両でなんとか生活を立て直そうと決心します。しかし、帰りがけに会った困窮したお店者を助けるため、その大切なお金を全て施してしまい……。江戸の人情が良く出た噺です。娘さんが振り回されるのがすこし気の毒に感じるんですが、まあ、本人が幸せそうなので口を差しはさむのは野暮かな。
『岸柳島』:隅田川の渡し舟におけるトラブルの噺。乗り合わせた横柄な武士と紳士的な老人武士が、ひょんなことから果し合いに発展します。小舟の上では迷惑だから河岸で決着をつけようと老武士は提案し……。粗暴な力自慢を知恵で出し抜く胸のすくような内容です。最後の負け惜しみも良い味出してます。
『らくだ』:らくだが見世物として渡来して以降、何の役にも立ちそうにない人間をらくだになぞらえて呼ぶのが流行した時世の噺。フグの食あたりを起こして死んでしまった「らくだ」でしたが、偶然、その兄弟分が「らくだ」の死骸を発見します。彼はその後始末つけようと腐心するのですが、周囲の人間を巻き込んで色々と騒動が起きてしまいます。この噺は何といっても散々好き勝手やった後のオチがすごい。ここまでくると得も言われぬ凄味がある。これが自分の一番好きな噺ですね。
『死神』:金がなくて死にたいと思っていた男の前に現れた死神。その死神から死神の習性を利用した良い金儲けの方法があると男は持ちかけられます。演じる落語家の手によって怪談にも寓話にもなるという変幻自在な噺。
『夢金』:大雪の降る夜遅く、金にがめつい船頭の熊蔵は、妙な客を乗せることになりました。訳アリそうな侍とその妹の二人連れ。酒手をはずむと言われて喜んで乗せたものの……。本書では内容がちょっと端折り気味だったようですが、話の展開としては、これくらいでちょうど良い塩梅だと感じました。まあ、そんなシリアスな内容でもないんで、だらだらやってもダレるだけでしょうしね。
『首提灯』:辻斬りが横行する世相における剣の達人と酔っ払いの話。話の筋という筋は特にありません。シュールか。ナンセンスか。それとも単なる因果応報でしょうか。
『芝浜』:ここ最近、酒浸りになって商売をサボり気味の魚屋の勝つぁんは、ある日奥さんに叩き起こされてしぶしぶ商いに出て行きます。しかし問屋も開いてないほど早いうちに起こされてしまったため、浜で一服することに。そうして浜でのんびりしてると、偶然、大金の入った財布を拾ってしまい……。。奥さんの心配りにしんみりする人情噺です。この噺は有名なので言わずと知れた名作といった感じがあります。ちなみに、初代三遊亭圓朝 の三題噺が元になっているようです。そのお題は「酔っ払い・財布・芝の浜」。
『鰍沢』:参詣の途中、山の中ですっかり道に迷ってしまった旅人。幸運にも民家を見つけ、そこで一晩泊めてもらうことにしますが……。怒涛の展開で落語には珍しくサスペンスの趣向がありますね。こちらも元々は初代三遊亭圓朝の三題噺。その場の即興でポンっとこんな筋を作ったというのはなんとも驚異的ではありませんか。お題は「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」
『小言幸兵衛』:何事にも小言を言わなくては気が済まない家主が主人公の一席。この家主はどうにも困った爺さんですね~。今の時代だったなら、こういう人物は迷惑がられて終わりですよ。正直、この噺はあまり好きではありません。
『品川心中』:ハレの日のための金の都合がつかず、このまま惨めな思いをするのならいっそのこと心中してやろうと画策する花魁。その相手として白羽の矢が立ったのは、貸本屋の金蔵という男でした。心中を題材にした噺のはずなのに、まったく湿っぽくなくて、全体的にどこか気が抜けてるのが味わい深く感じます。ちなみに、本書では上下あるうちの上のみの内容となっているようです。
『あくび指南』:治安が安定してきた江戸時代の後期には、さまざまな習い事が繁盛しました。そうしたなか、あくびの稽古をつけるという指南処があって……。他愛のない噺で、内容なんて有って無いようなものです。こういうバカバカしい噺が、落語の真骨頂だと思います。
『二番煎じ』:町内の火の見廻りに勤める旦那衆。寒い心身を温めようと、番小屋にこっそり酒と猪肉を持ち込み、みんなでそれを楽しみます。しかしそのことが見廻りの役人に勘づかれてしまい……。登場人物が全員「いける口」だからこその噺。こっちも酒が飲みたくなりますね。それも熱燗で。
『猫の皿』:掘り出し物を見つけるために、田舎まで出張ってきた道具屋。茶処で一服していると、そこでなんと三百両もする絵高麗の梅鉢の皿を見つけます。その皿は無造作にも猫の飯皿として置いてあり……。後味が小気味良い噺です。
『粗忽の使者』:大変そそっかしい治部田治部右衛門という武士がいました。ある日、使者のお役目を任されたところ、なんと治部右衛門はその口上を忘れてしまいます。尻を捻れば思い出すかもしれないと、相手方にそれを頼み込み……。この噺も、徹頭徹尾ふざけていて面白い。武士だろうがお役人だろうが、ふざけ倒す時にはとことんバカにするんですよね。そこが落語の面白さだと思います。
感想
本書は文句なしに面白かったです。落語の有名所がバランスよく揃えられているバラエティ豊かな入門書だと思います。それにマンガの絵柄がデフォルメが効いててコミカルでかわいいのも魅力的でした。この絵柄での表現だからこそ、という味が随所に出てきていているように感じられましたね。私はこういう絵柄に惹かれます。最近のマンガでは、こういうコミカルな絵柄は希少な感じがしてさみしいですね。リアル調や萌え系の良さも分かるんですけども、私としては、こういうコミカルな絵柄がもっともっと日の目を浴びてほしいと思うばかりです。それぐらい本書の絵柄は好みでした。