「昔はよかったなぁ……」という郷愁は、ある程度の年齢になれば、誰しもが抱くようになるものでしょう。しかし昨今の「昔はよかったなぁ……」には、もっと切迫したもの、嘆きのようなものが感じられるようになりました。正直、私としては、こういう空気にはかなり参ってます。至る所で憎悪が直接ぶつかり合う事態が多くなり、それに触発された「か弱い人間」が見ず知らずの赤の他人に牙をむき……。昔の方が生存環境がもっと過酷だった反面、人間はもっと優しい生き物だったのではないかという思いがあります……。ここ十年の無様な状況を見ても、世界が凋落の一途をたどっているというのはどうにも確からしい話で、なんとも嫌な気分になりますね。
内容紹介
本書は『週刊金曜日』に連載したコラムから抜粋したものを中心に、書き下ろしと加筆を行ったものです。この十年、著者が世界中を飛び回りながら「他者の眼差し」で日本を捉えることを目指した、世界と日本をめぐる「観察日記」とのこと。内容は時系列順にまとめられており、一つのトピックが数ページでとても読みやすくなってます。そして意外にも、内容はそれほど暗いものではありませんでした。なにしろ、内容も題材も自由気ままで、問題提起の論考というよりもエッセイの趣向が強く感じられたぐらいです。著者のその理知的で皮肉っぽい文体には、気分が救われるような感触さえあります。人を無暗に刺激しないで、それでいて言いたいことは誤魔化さないのです。直接的な言葉が我が物顔で往来するこのご時世、こうした文体が心身に沁みる人も少なくないような気がします。まあ、あえて挑発的な表現をとっている場所もあることにはあるんですが……。
著者は、少なくとも本書においては、愚劣な人間に対する強い蔑みを隠そうともしません。俗にいう「冷酷なインテリ」というヤツでしょうか。こういうのは鼻につく人も居るだろうなあ、と読みながら思いました。特に、彼は日本に対するネガティブな感情を隠しません。事あるごとに日本を考察しており、日本という国を深く愛している一方で、そこに住む日本人の陰湿さには我慢ならない様子が端々から見受けられます。世界中の文化人との交流が描写されるなか、閉鎖的な風土である日本を呪う声がたびたび挿入されるのです。まあ、呪うだけの関心を寄せているだけでも、日本に対する愛が深いと言えるのかもしれませんが。初っ端から大震災に見舞われた10年代、コロナにて幕を開けた20年代……。世界より一足先に散々な目に遭ってきた日本ですが、果たしてこの国には、これらの厄難から「教訓」を掴み取るだけの知性がまだ残っているのか。私には疑問に思えてなりません。
感想
著者の四方田犬彦は、各国の比較文化研究のほかにも、映画論、マンガ論、さらに現代詩の分野まで、幅広い仕事を成し遂げています。彼は令和に生き残った貴重な「本物の評論家」だと思います。そうした柄の大きい評論家の活動を追って、それではじめて評論家の成し遂げる「仕事」がいかに後世の社会にとって重大なものであるかが理解できるような気がします。というのも、世の中には「評論家不要論」なんてものが根強くありますが、まったく愚にも付かない話だと思いませんか。たしかに「はずれ」がちょっと多すぎる界隈ではあるけれども……。それは読者にも言えるので、お互い様というものです。私も「はずれ」の読者にならない様に気を付けなくてはいけません。