恥ずかしながら白状すると、私は文章を勉強している身の上でありながら、最近はまったくと言っていいほど小説を購入していません……。エッセイとか評論とかは惜しげもなく買うんですけど、小説だけはなぜか別で。どうしようもなく食指が動かないのです。結局のところ、カネを払ってまで読みたいとは思わなくなったんですよね~。まあウチが貧乏だからってのもありますけど……。でも、それよりも大きいのがタダで読めるネット小説の大衆化だと思っています。新たな文学的鉱脈を探しに行こうとなれば、今では小説投稿サイトを漁るのが主流ではないでしょうか。ネット小説の世界では、知られざる傑作の発掘に精を出す「スコッパー」と呼ばれる人たちが活動しているおかげで、ちょっと調べれば驚くような出会いがあったりしますからね。書籍化してないのに魅力的な作品って、ビックリするぐらい多いんですよ。たぶん、本筋の作家がこっそりやってたりするんでしょうね。漫画家が同人誌を描くみたいな感じで。
とにかく、私はもうそれで満足しちゃってるもんだから、わざわざ小説を買ってまで読むということは本当に少なくなりました。でも、考えてみれば不思議な話です。たとえば、評論で言えば、プロとアマチュアでは説得力や文章の質といった全体的な面白さに歴然とした差があります。でも小説はそうじゃないんですよね~。これは私の個人的な所感なんですが、漫画家や評論家とかと比べても、小説家というのは「埋もれた才能」が際立って多いような感じがするんですよ。そこになんか、ヨソの分野には無い夢があるように感じられます。
内容紹介
本書は、著者である丸山健二の切実な願いと祈りが出発点になっているようです。本書の主な内容は「まだ見ぬ書き手」に向けての激励になります。このしょうもない日本の文壇とはかけ離れたところで、もしかすると語るべき「何か」を温めながらじっと時機を窺っているかもしれない……。そんな「まだ見ぬ書き手」に向けて熱烈なエールを送っているのです。その熱量は、一読すれば伝わってくるはずです。私ですら「書きかけの小説を早く仕上げなくては……」と背筋が伸びるような気持ちになりました。
ちなみに「新装版」というのは、1997年に書かれた文章を加筆・修正したものを改めて世に出しているためですね。しかしその当時からしてみても、文学を取り巻く環境は悪化する一方のようで……。著者は『新装版のための序』にて「嘆かわしいことに、良い作品を書けば必ず良識ある編集者が拾ってくれる、というのは今や昔の話である」とはっきりと苦言を呈しています。ここまで言われたら、自分が腹を痛めて産んだ我が子のような作品を出版社に送るのは愚の骨頂って感じがしてきます。だから、それこそ小説投稿サイトに上げた方が良いんですよ。あわよくば広告収入も期待できますしね。サイトの運営側から声がかかるかもしれないし。風潮としてもそうなっているんですよ。
著者の丸山は、言葉こそ辛辣で挑発的ではありますが、文学に対しては一貫して真摯ですね。ただし、本書中には、素直に頷けない部分もありました。たとえば、著者の主張からは「一人前の仕事を成し遂げられるのは一人前の大人の男だけだ」みたいな感じがヒシヒシと伝わってくるんですよね。健全な肉体と精神を持った男だけが、選ばれし文士の資格を持つ、とまでは言ってませんが……。なんか、そのような、言い回しがちょっと鼻につく感じの主張が続く場面があったりもします。
それから、必然、内容としては精神論が多めになってきますね。この辺は、あまり真に受けすぎると毒になりそうです。しかし、なかにはきちんとした実践的な助言もあります。たとえば、作家として暮らす際に気を付けるべきポイントについてはすべての書き手にとって参考になることでしょう。印税はあてにしないこと。一作品につき最低でも7回は推敲を重ねること。そのために一作品ごとに数年がかりになることを覚悟すること。特にここら辺りにはアマチュアにも通じるマインドがあります。
いまの文学は徐々に衰退しているのだという話をよく聞きます。しかし、その衰退が何時から始まったのかと訊けば、明確な時期は分からないという返事が多いのです。これって、なんだかおかしな話だと思いませんか? 実のところ、私は前々から「それって今に始まった話なんだろうか?」という風に思っていました。つまりは「日本文学に全盛期と呼べるほどの盛り上がりはあったのか」という疑問です。
そして著者の主張は、私の疑問を吹っ飛ばすほど過激で、「遺産となるべき作品なんてものは日本文学においては古典を含めても絶無である」と言い放ちます。そんな著者が引き合いに出すのは、作者不詳の絵画である『日月山水図屏風』です。著者は、名声がどうの、何たら賞がどうの、売上げがどうの、と事あるごとに騒ぎたてる文学界を単刀直入に非難します。作家も編集者も見込みのない小物ばかり。世界文学や日本絵画の達成と比べ見れば、日本文学のなんと稚拙なことか……という嘆きには、長年にわたり文学界に籍を置いていた著者のため息が聞こえてきそうです。なんだか目に見えて気落ちされているものだから、著者のことがだんだんと気の毒に思えてきますね。「あなたの探している作家というのは私のことですよね!」と言えるほどの実績も自負も無いのが、こういう本を読んでいて後ろめたくなる瞬間です……。
感想
文学的感性を秘めながら、未だに文学に着手していない「まだ見ぬ書き手」へのラブコールとも言える本書。これを執筆したということは、もう著者の観測可能な範囲では目も当てられないような惨憺たる状況なのでしょうね。くだらない連中に支配された死に体の文学を、それでも見捨てられないという痛切な感情は、書き手であれば誰もが胸を揺さぶられること間違いありません。柔らかい物腰でありながら、その鬼気迫る文章が印象的でした。その熱量たるや、凄まじいものがあります。単にエッセイとして読んでも非常に面白い内容となっていますよ。
突然ですが、みなさんは小説に「何を」求めていますか。もちろん、暇つぶしのため云々とかそういう浅い話などではなく、もっと踏み込んだ話ですよ。私も「一人の読者」としてこう訊かれると答えに窮してしまうと思います。しかし「書き手の一人」としてなら、なにかしら回答できそうな気がするんですよ。それで思うのですが、「小説を書く」という行為って、他の何物にも代替不可能な体験ではないでしょうか。こう、文章でフィクションを創作するという行為そのものが。長い小説なんかを書いてると、文章の質感に導かれるといいましょうか、言葉が言葉を勝手に連れてくるような感覚に襲われることがあるんです。言葉で紡ぎ出した世界というのは、単なるの空想の世界なんかじゃなくって、もっと奥の深い「神秘の世界」そのものだと私は思いますね。